紙粘土を固めるのは時間か決意か

そういえばリセッシュにファブリーズをかけたらどっちが勝つか、と言うことを考えていて、
それは単に匂いの強いものを混ぜるというだけの実験なのか、
それともお互いの消臭成分が何らかの効果を発揮してみせるのか、
そもそも消臭って何だ?ということで、日経サイエンスのバックナンバーを調べたりしている。
そういう記事が過去にあったという記憶はないのだけど。

 

 

思いがけず「そ」が縦に並んでしまって本題を見失いそうなくらいにおののいた、
ということを口実に手が止まっていた。
おかげで陽も暮れた。
東京から帰っていく人々の声を見るにつけ、日曜日の太陽はすこぶる重い。

どうでもいい文章を書いているなあ、と思う。

こういう文章を書くようになったのは、わりと最近のことで、
架空ストアのブログに書く文章とはだいぶ違う。
以前、レトロインクのトップページなどに書いていたような文章とも違う。
はたから見ると、よく分からない違いだと思うのだけど、
架空ストアを始めて少し経ったあたりから、
何となく「書きにくい文章」と言うものが身の回りに現れて、
あるいは呼び鈴をピンポン鳴らして訪ねてきて、
またあるいは普通郵便で届いて、日に日に増えて、
手狭な部屋がさらに窮屈になってきた挙句に、
レトロインクとしての文章を書くのを止めたり再開したり試行錯誤して、
最近はこのへんに腰を落ち着けてみてはいるものの、
やはり何となく居心地が悪くて、
出産を待つ父親のように、立ったり座ったり落ち着かない。

誤解を恐れつつ言ってみるのだが、
僕がレトロインクとして書きたい文章・言いたいことというのは、
架空ストアと相性がよろしくない。
最悪とまでは言わないが、飲み会で二人きりになったら黙っちゃう。
これはもう、どうしようもないことのように思う。

昨年6月末にレトロインクの活動を縮小して、
架空ストア偏重で歩いているうちに、世の中の底流はめまぐるしく変化して、
レトロインクとしてできること、やりたいこと、やらなきゃならないこと等々が、
昔よりもずっと濃い影を地平線の方にまで伸ばして、立ちあがってきている。

レトロインクと架空ストアの両立ということを、
一時的に真剣に考えて、何かうまい手を考えなくてはならない。
のばしのばしにしてきたけれど、そろそろ冬休みも終わりだろう。
これが部活と勉強の両立だったら、どっちかをあきらめるという手もあるわけだが、
残念ながら、僕のいる場所はもう中学校ではなくて、
レトロインクと架空ストアはシャム双生児に似た関係になっているから、
両立以外に道が無い。

目下の仕事が一段落する5月末までには、
何らかの解決策を手に入れよう。

 

埃をかぶったギターを手に取り、またロックをやろうとしていて、
そのために解決しなければならない現実的な問題は多いけど、
ロックにとってそれは、火に油をそそぐようなものかも知れないから、
まあ、何というか、
困ったものだ。

 

 

架空ストアの秘密情報部のAndroidアプリ
公開前のテスター募集、まだやってます。
http://miss-baker.appspot.com/vW010

私の彼は戦国武将

架空ストアの秘密情報部が変なアプリを作った。
で、公開前のテスターを募集しているようだ。
http://miss-baker.appspot.com/vW010

 

「惑星ガリレオの歩き方」「キースの音楽」と違って、
このアプリは、架空ストア秘密情報部謹製。
秘密情報部の担当は福井組である。

福井組って何?と思われるかも知れない。
福井組とは、架空ストア秘密情報部の担当者であることよ。
お見知りおきを願う。

がってん

密林社のJANコードは、ISBNを含む書籍JANコードじゃなくて、
通常の(という言い方が正確かどうか分からないが)JANコードらしい。
なるほどそれなら納得がいく。メーカーコードの取得だけで済むもんね。安いわけだ。
書籍としてそれはどうなんだという意見もあるだろうけれど、
とにかくAmazonに出す!という目的だけ考えたら、十分に違いない。
よくそこに気づいたなあ、という「発見の勝利」だと思う。

ちょっと気になっていたことが明らかになったので、
これで心置きなく仕事が進むようになる…かと言えばそれはまた別の話で。

今月の峠は手ごわいぞ。

ニュースレ・ディフェンス!

たまたま見つけてしまって、すごくはまっている。
おかげで今日の仕事が大幅に遅れてしまったことはクライアントに内緒。

ニュースレ・ディフェンス!
http://www.suremi.com/Game01.html

本当に心の底から内緒。
世間でもっと評判になって良いゲームだと思う。

架空ストアのシステムを少しずつ修正して、日が過ぎていく。
今日は、作家一覧に表示順の選択肢をつけたり、最近参加した作家さんにNEWをつけたり、
トップページの表示を「雑貨」と「本」で分けたり…と相変わらず地味な作業。
焦らずに、少しずつ良くなっている手ごたえを感じていきたい。

そろそろ二十四節気のことと、六月末のことを考えなくちゃいけない。
いや、数週間前から考えているのだけど、いまだに結論の出てない命題がいくつかあって、
そろそろ本気で片付けなくちゃいけないというところ。

福井くんが来てくれて、とりとめのない話をして、考えを少々整理。
7月には仙台に行くはず。

昨晩の松本圭司さんのツイートがきっかけで、ずっと考え込んでいる。
https://twitter.com/#!/keizi666/status/198408854290169857/photo/1

他人事とはまるで思えなくて、
理解しがたい人々ととにかくいかにして付き合っていくべきか、
答えはまだ出ない。

 

蜘蛛の巣の上に幸せはあるか

見たいものだけ見る、見たくないものは見ない…は一概に悪いこととは言えないけれど、
それはあくまで自分で情報を取捨選択している場合の話であって、
見たいもの・見たくないものを、自分以外の誰かが決めてしまうとなると、だいぶ様相が異なってくるのじゃないか。
見たくない情報が完全に隠されて、一見すごく心地よい環境だったとしてもだ。

GoogleもFacebookやTwitterも、
最近はそういう傾向が日に日に強まって来ている。
社会にとって良いことなのか悪いことなのかなんて、僕には判断がつかないけれど、
あくまで自分のこととして考えれば、「嫌だなあ、本当に嫌だなあ」

可能な限り、自分で見たいし、自分で選びたいし、
自分で悩みたいし、自分で決めたい。
それが遠回りだろうと無駄な道のりだろうとたいした問題じゃなくて、
誰かの決めた道を、知らないうちに歩かされてるよりはずっといい。

ウェブの発展によりそうようにして、これまで細々とやってきたレトロインクだけど、
現在のウェブが向かう先には、はっきりと拒絶を示したい。
その判断が正しいかどうかなんて、僕には判断がつかないけれど、
わからないことはわかるんだ。

風向き

5月からは風向きが変わるんじゃないかと予測している。
だけど、その風がきみのところに届くのは6月末じゃないだろうか。
インターネットは広いからね。
うん、本当のインターネットの話だよ。

サーバーをたてるか寝かすかワインセラーで

サーバーをたてる…という言い方が最近でも通用するのかどうかちょっと自信がない。
通用しないのだったら、いっそどんな言い方をしたって同じわけで、
サーバーを寝かすとか言ってもいいかも知れない。
ワインやチーズのようなものだと思ってもらえたら何だか得した気分になれる。

昔に比べたら、サーバーの設定はずいぶんと簡単になった。
世の中の技術の進歩と、自分の技術の進歩の相乗効果で、
今から夜までに一台用意するのは、たいして難しいことじゃない。

すごい世の中になったものだ。

あるいは、すごい自分になったものだ。

自分と世の中が肩を抱き合ってほめたたえる姿が見えるようだが、
それを見ている自分とは一体全体何者なのかと、
そういうことはまだ露とも思わない今の自分だ。

 

「さあさあ皆様御立合い、ここで見事にサーバーをたててみせましょう。」
それが終わったら、自分の順番を待って、またルーレットを回すのだ。

無限オセロ

無限オセロについて、考えたことがある人は多いと思う。
8×8のマスという制約を取り払って、無制限のフィールドで戦うオセロのことだ。
それじゃいつまで経っても終わらないじゃないかと思われるかも知れないが、
実際のところどうなんだろう。

概念の上では、確かに終わらない。
だけど、現実の生活においては、「永遠に続ける」ことって非常に困難だ。
言うまでもないことだけど「プレイヤーの人生が有限」という問題があって、
それ以前に「プレイヤーの根性が有限」だし、「プレイヤー同士の関係が普遍とも限らない」からだ。

そして何よりも問題なのは、「ゲームとしては面白くない」ということだ。
いくらやっても決着がつかないのだから張り合いにかけるのは当然で、
どこに白を置こうが黒を置こうが意外性も何もなく、先の手筋を読む必要もなく、
快哉も舌打ちも起こらない苦行のような様相となるのは間違いない。

それを面白いという人が世の中にはいるかも知れないけれど、
少なくとも僕はやりたくないなあ。

だけど、ゲームと言うものが、プレイヤー同士の交流の「手段」であるとするならば、
究極的には、無限オセロでも良いのかも知れない。
ひょっとすると、相手の手筋が予想外だったり、予想通りだったりすることで、
かすかな一喜一憂を共有し、たばこの火のような小さな熱を維持し続けるところまで、
相手との関係を「極める」ことができるのかも知れない。

ただし、そこまで極めてしまうと、そもそもゲームの必要性すら無くなってきて、
お互いに目を閉じたり、咳をしたり、首を掻いたりするだけで、十分になってしまうような気がする。
コタツに入ってほとんど動かないおじいちゃんおばあちゃんがやっているのは、
つまりそういうことだろうか。

そのへんを理解するには、もうちっと年をとらないといけないようだ。

これぞルール

このゲームのルールが、無駄が無くてわかりやすくて、すがすがしい。

ガイスター(メビウスゲームズ)
http://www.mobius-games.co.jp/mobiusgames/Geister.html

実際に遊んだことはないので、面白いかどうかは分からないのだけど、
ルールだけでもう「技あり」という気がする。いや、「一本!」くらいあげてもいい。

ルールは、プレイヤーの行動を制限するためのものではなくて、
プレイヤーの駆け引きを深化させるためのものだと、あらためて感じる。
古典的なトランプゲームがいまだに十分面白いのも、
そういうルールが洗練されているためだろう。

 

自分で遊んだ中では、コリドールもかなり良い。

コリドール(すごろくや)
http://sgrk.blog53.fc2.com/blog-entry-1835.html

これのウェブ版を作りたいと思ったこともあったけど、
実際に目の前に相手がいる状況でやるのに比べると、
魅力が半減以下になりそうな気がしたので、やめた。
それで正解だったと今でも思う。

ちなみに僕が持ってるのは、コリドールキッズ。小さい。
http://sgrk.blog53.fc2.com/?no=1104

よその猫の死

くるねこさんとこのもんさんが亡くなってしまった。
くるねこ大和「シケた顔すんな」

数日前からそんな予感はしてたのだけど、予想以上に悲しい。
自分のうちで飼っている猫ではなくて、
会ったこともないよその家の猫なのに悲しいというのは、
本当に奇妙で、人間という仕様の甘さだと思う。

一番悲しい人の気持ちを想像するのはやめておきたい。
今までどうもありがとう。